結局、米澤穂信は強い
ぎゃああああああ。
開始数ページで、私の心は乱れ狂いました。
なんや、お前ら、楽しそうな学校生活送りやがって、甘酸っぱい、というか、胸が苦しくって、切なくて…ああ…。
さて、本日ご紹介するのは米澤穂信の『秋季限定栗きんとん事件』です。
こちらは2009年(要参照)にKADOKAWAより出版された、著者の『小市民シリーズ』の第三弾です。
米澤穂信氏といえば、いつだったか直木賞を受賞されました。調べてみると2022年でした。個人的に昔から存在を知っている小説家であったため、随分感慨深くしみじみXの速報を眺めていたのを思い出します(あの頃はXかTwitterかどっちだったんだろうか。どうでもいいけど)。立派な大先生です。
先生、生きていてくれてありがとうございます、大好きです。
米澤穂信先生を初めに知ったのはみなさん大好き、彼の処女作である『古典部シリーズ』の氷菓でしたが、同じような方も多いのではないでしょうか。
文体が独特でしっかり軸があるので、文体大好き人間で純文学ばかり読む私にとっては、大変いい変化球でありがたいシリーズでした。
約六年ぶりに発売されたシリーズ六作目の『いまさら翼と言われても』の最初の1ページを読んだとき「ああ、帰ってきたんだなあ」と天を仰ぎ心から感じ入ったのを鮮明に覚えています。
いやいや、このままだと古典部シリーズだけで一記事書いてしまいそうなのでここいらで止めて起きましょう。小市民シリーズです。
下調べせずに買ったらネタバレをくらった
一瞬だけ、ほんの一瞬だけ、個人的な話をします。私は東海オンエアの虫眼鏡氏が米澤先生の小市民シリーズが好きだという情報を知り、ほうそんなものもありましたかと、本屋へ向かったんです。よく調べもせずに行ったもんですから、在庫にあった『春季限定いちごパフェ事件』と『秋季限定栗きんとん事件』だけを手に取って会計をしました。『夏季限定』があることも知らず。そしたらどうでしょう、現在絶賛放送中のアニメ放送にて、私の全然知らない話が出てくるではありませんか!私はあわてて『秋季限定栗きんとん事件』を手に取りました。しかし、読んで出てきたのはアニメの7話のおわりの内容ではありませんでした。それどころか、完全にネタバレを喰らい、さらにはどデカい青春恋愛パンチを鳩尾でもろに受け止めてしまいました。ぐは。本当に倒れそうになりました。
そんなわけで、読んでしまったことには仕方がない、と『夏季限定』の内容はいったんアニメで得ることにしまして、私は本作を読みはじめました。もう書いてしまいましたが、その後何発ものダメージを受けることになってしまい、読み終えたいま、この記事を書く運命を背負ってしまったわけです。
閑話休題。もういろいろと、言いたいことはありますよ、小鳩くん(主人公)。
何だ君は。まず、本作をお持ちの方は上巻の58頁を参照あれ。
手をつなぎたいような気さえ、していた。
……は?
いや、繋げよ。繋がんかい。仲丸さん(新彼女)待ってるやろ。それは小市民なんかじゃないぞ、私は騙されんぞ、ただの童貞マインドだ。危機感を持った方がいい。いい加減にしやがれ。クリスマスのデートやなんやらのくだりも、もどかしすぎる。ちゃんと動け。
それから同じく上巻の175頁。
「……ここからだと<桜庵>が近いかな。和風の落ち着ける店だよ。<ベリーベリー>が一番近いけど、椅子が悪いからね」
この間抜け! そういうことは言ってもいいけど、彼女が微妙な顔をした瞬間にちゃんとフォローしろよ。あなたは頭がよく動くのが長所なんやから危機察知しなさいよ、このあほんだら。
……とまあ、書き始めたらいくらでも突っ込みが出てくるのですが、いまペラペラっと内容を見返したらそれが最初に目についたので一言物申させていただきました。
小佐内さんの悪魔っぷりも読んでいて楽しいですが、あんたらはちょっとピュアすぎる。
というか、これは米澤先生がピュアってことなのか……? 秋元康なんかもそうですが、どこにそんな理想化された高校生みたいなマインドを隠し持っているのだろうと不思議に思います。
構成自体はよくある形。だけど飽きさせない。
主にエンタメ小説で使われる構成ですが、この作品も主軸の事件(今回の場合は放火魔事件)と、サブ軸の小鳩ならびに小佐内の恋愛模様という二軸で動いています。ただ、それ以外にも小さく謎解き要素は含まれているので、作者のちょっとした気遣いがこの作品の魅力を底からぐっと引き上げてくれています。
王道が結局いちばんいい、という感覚は僕にもわかります。J-POPなんかでも王道は王道でいいよなあと思うことがたくさんあるのですが、王道はありきたりと紙一重ですよね。ありきたりを作ることすらできない無能がたくさんいるなかで、そこからどう自分のスパイスを加えてオリジナリティを出していけるかは、作家や編集部の腕にかかっているわけです。
二軸があることで読者に「早く次を知りたい、もっと読みたい」を加速させやすいんですよね。私もこれを読み終えたのは本当に一瞬でした。アニメが現在放送中ということもあって、キャラクターがビジュアル化されて場面を想像しやすかった、というのも原因のひとつだったと思いますが、その力を借りずとも米澤穂信は読者を引き込む力をふんだんに持っている人です。さすがと言わざるを得ません。
ここいらでアニメのほうも結構いいんだよ、ということをお伝えしたいです。
みんな、読んで、観ような。
小市民っていったいなんなのかを考えさせられた
小市民とはなんなのか。
要は、推理したがりな小鳩と復讐屋の小佐内が、平穏な日常生活を送るための標語みたいなものです。
目立たないようにひっそり生きようというというこの目標は、折木の「省エネ」性格も若干におってくるので、それと似たようなものなのかなと考えていました。
だけど本作をすべて通しで読んだとき、果してそれだけでいいのかな、という疑問が浮かんできました。。
私がそれに着目したのは下巻の184頁の小佐内のこの台詞。
もし瓜野くんが自分で犯人を捕まえようとするなら、きっと瓜野くんが自分をただの小市民だと思い知る結果になると思ったからよ
瓜野は高校生の新聞部とは思えないほど大胆な行動をとってきました。生活指導の教師に責められても、深夜徘徊で警察に補導されるリスクを負ってでもやりたいことがあった。それは私が考える「小市民」像とは離れたものでした。
しかし小佐内はそんな彼を真の「小市民」だと罵る。これが彼女の復讐です。ただ、目立つような動きをして平穏から離れれば小市民から逸脱する、というわけではなさそうです。つまり、小佐内も小鳩もちょっと人とは違う優れた能力があって、それを互いに認め合っているのが、彼ら二人の関係性だったわけです。
これについては210頁あたりで小鳩が回収してくれました。
ぼくたちが小市民を名乗るのは、本来的に自意識過剰なことだ。
瓜野には、聡明さも狡猾さも猜疑心も、小佐内から見れば足りていなかった。つまり、小市民という言葉には本質的に「無能」というニュアンスが少なからず含まれていることに気がつきました。
ずいぶん生意気な高校生ですが、それがいいんですよね。ありきたりな高校生を用意して、シチュエーションをこねくり回してオリジナリティを保とうとするような安易な姿勢がまったくない。ミステリ作家として、現実に起こる範囲で、だけどフィクションとしておもしろく読める範囲を絶妙にカバーしている。
これが本シリーズの、ならびに米澤穂信先生のスバラシイところです。感激。
とにかくたくさんの人に読んでほしい
アニメ化されるタイプの小説について記事を書いたのは初めてなのですが、結構筆は進みました。
やっぱりこういうのって、エンタメのほうが書きやすいのかもなって思ったりしましたが、まあここまでハイクラスなエンタメ小説もなかなかございませんから、これはひとえに米澤穂信先生の力がすごいんだ、と受け取っておきます。
ミステリ好きはとにかく米澤穂信を読んでほしい。そして、高品質な学園恋愛モノに飢えているのなら『春季限定』からこの小市民シリーズをぜひとも読んでほしい。本当に、心から。この作品の魅力をもっとたくさんの人に知ってほしいのです。
シリーズ全作読み終えたら読書会しようかな……。
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