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【小説】河野裕『昨日星を探した言い訳』はただの恋愛小説ではない。社会への痛烈なメッセージが刺さる。

Essay

これは恋愛小説……なのか?

本日紹介するのは、河野裕の『昨日星を探した言い訳』です。

『サクラダリセット』シリーズや、『階段島』シリーズなどで有名な著者の2020年の作品。山田風太郎賞の候補にもなった作品です。

選評の際、筒井康隆先生が高く評価されたことが、まだ記憶に新しいです。あのときは他人のことなのになんだか嬉しくなりました。それもこれも僕が河野裕先生の作品が好きだからでしょう。

先生大好きです。生きててくれてありがとうございます。

さあ、この作品、知らない人に向かってどう説明したらよいものか。

とてもざっくり、舌触りのいい言葉だけで説明すれば、恋愛小説(学園もの)です。

しかし読んだことのある人なら、わかるでしょう。いや、そのジャンル分けはどうなんだ、と。

当時の単行本の帯にはこのようなことが書かれています。

あのころ僕は、彼女に恋していた。

この一文に嘘があるなら、過去形で語ったことくらいだ。

うわ~、ちょっと……しんどいですね。(私のフランス語をお許しください)

まあ、エンタメ小説は売れてなんぼの世界ですから、こういうふわっと美しい言葉を書いた方が売上につながりやすいよっていうのは、理解しています。だから売れなくて著者の魅力が伝わらないくらいなら、この帯で一部でも多くの作品が売れて欲しいです。本当に。ええ、本当に。でもあえて言わせてください。こういう言葉って胃もたれするんです。結局、僕が言いたいのは、この作品には帯の内容と雰囲気に負けないくらい、結構えぐめのパンチが効いた内容が含まれているってことです。

恋愛小説であることは間違いないです。それはもうまっすぐで、まっすぐすぎて目も当てられないくらいまっすぐで、もどかしくて心がどうにかなってしまいそうなくらいです。以下、詳しく見ていきましょう。

様々な正義の交錯

この作品でまず感じられるのは、登場人物のほとんどが、悪い奴らでは決してないというところです。

だけど意見の食い違いがありながら、なんだかんだと物語が進んでいきます。

いったいなぜなのか。

それは、登場人物に各々の正義があるからです。

この物語で起こるひとつのイベントとして、拝望会という深夜のハイキングイベントみたいな学校の伝統行事があります。かなり昔からある行事という設定で、現代となっては触れにくい人種差別的な背景を含んでいます。これを正そうとする先生がいました。もっと優しくて、現代の価値観にあったものにしようと学校の偉い人に立ち向かう。それが橋本先生です。

彼らの言うことに、悪は(ほとんど)ありません。特に橋本先生なる登場人物は、現実世界にいたらかなり善人として扱われて、よいしょよいしょされて、地域紙に取材なんてされちゃって、プライベートでジャケットにカラフルなバッジをつけちゃうような人生を送りかねないような人です。

だけど、彼の意見には、どこか聞いていて、首をひねりたくなるところがある。人によっては、橋本先生の主張のなにがいけないんだと思う人だっているでしょう。僕はたまたま主人公の坂口の言うことがよくわかるタイプだったからよかったけれど、やっぱり橋本先生の言うことには「そうじゃないんだよな~」と思ってしまう。そういうところの、河野裕の人物描写力といいますか、観察力が違うし言語化能力も高いと評価ができるというわけです。

恋愛小説を謳いながらも、その実かなり複雑で、正義や正しさみたいな倫理的な問題を含んでいるのがこの小説の特徴です。

いろんな方面に喧嘩をうってて、こっちがビビる

この作品の最もすごいところは、なんといっても社会に対する痛烈すぎるメッセージです。

僕がこの作品を読んだのは単行本が発売されてすぐのことでした。普段はどれだけその作家が好きでも、文庫しか手に取らないのですが、ジュンク堂でサイン本がまだ残っているのを見てしまって……うっ、欲しい、あ、あああ。買っちゃいました。なので世間にこの作品が届くかなり初期の段階でこれを読んだんです。読みながら思ったんです。

これ、一部の人間には刺さりすぎて、胸をナイフで突かれるより痛いんじゃないか、と。

深遠に、婉曲的に、それとなくほのめかすようなメッセージではないです。ちゃんとズバっと書かれています。ポリコレとかジェンダー問題とか菜食主義とかそういうことに。誰もが「そういうことじゃなくない?」って言いたくなっていることを、ちゃんと言語化して伝えてくれているのです。

やっぱり新しい概念を持ち込む人っていうのは、持ち込む行為自体が悪いわけでは決してないのですが、だいたい極論を言い過ぎていたり、他人に押し付けたり、論理的に破綻しているところをほったらかしにしたままであることが多い。それを物語の形式に落とし込んで、人々に問題提起をしている。なにか人を説得するときにもっとも有効なのは、やはり物語です。僕の胸にもすっと入ってきました。

え、そんなにつっこんでもいいんだ、と思わないところもなくはないですが、これは河野先生だからなせるわざだと思います。極右おじさんとかリベラリストおばちゃんとかが書いても、たぶん響くものも響かないんです。彼にしかできない真摯な視点でこの問題にメスを入れている。

ここにこの作品の魅力は集結しています。

どこまでも崇高な理想を追う登場人物たち

河野裕作品全体に言えることかもしれませんが、登場人物の感情がとても強固なんです。

とにかく「そんなにまっすぐ生きてどないすんねん、生きづらすぎるわ」とつっこんでしまうくらいキャラクターのもつ理想が高いです。

どうやったらそんなに意思がガチガチの人間ができるのか、あるいは生み出せるのか、どの辺の寺で修業したら、そんなことができるのか。うーん、不思議です。感服いたしました。

おそらく人によってはこの気味悪いくらいのまっすぐさについていけなくて、著者の作品は読めないです、って方もいるんじゃないかなと推測できるくらい。河野先生の頭の中身とか見てみたいな。頭頂部あたりに北極星とかが輝いていて、小人がそれに向かって一直線に船とか漕いでるんじゃないかしらん。

真っすぐで優しすぎるがゆえに、いくつかの問題が発生しています。「いるかの唄」のくだりなんて、まさしくそれなんじゃないですかね。

どうして著者はそうした理想を目指す強固で同時に脆いような人間を書きたがるんでしょうね。なぜでしょう。不思議に思ったことは、読書会で意見交換してみるのもいいかもしれません。

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NAZE?は「なんとなく面白かった」で終わらせない探求型読書会です。

おわりに

ただの恋愛小説では終わらせない。そういう魅力のつまった作品が「昨日星を探した言い訳」です。

みなさんもぜひお手に取って、読んでみてはいかがでしょうか。

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